スキルとセンスの話

こんにちは!

一橋大学ビジネススクール教授の楠木 建さんの記事は参考になることが多い。「スキルとセンスの話」は、いつか、ブログ記事にしたくて、件名だけ下書きに長く保存してあった。

以下にて抜粋を引用しているが、この記事を読んでから、今も分からないことがある。どうやったらセンスが磨かれるのか?

職場でも、資格や英語など非常に高いスキルを持っているが、こと仕事になると、箸にも棒にもかからないタイプがいる。企業に、新人で入社して10年目となると、決まりきったルーチンワークではなく、チームリーダーになったり、業務そのものを改革したり、応用編が求められるようになる。

実際、もっと早くからそのような応用編に取り組みたがるやり手もいる。一方で、いつまで経っても、この応用編ができない人が稀にいる。スキルはあるのに、仕事のセンスが無いのかもしれない。

例えば、部下に、スキルは完璧だが、仕事の判断や進め方がズレているタイプと、スキルは多少見劣りするが、やって欲しいことが分かっている部下がいるとする。

職場で欲しいのは後者の方だ。求められていることや、やらないといけないことが、言われなくても分かるセンスがあるからだ。一方、前者は頭は切れるが、どこかセンスがなく、トラブルメーカーにすらなりかねない。

どうやったらセンスが磨かれるか?いつもの通り、ネットで確認すると、これも無数の情報がある。いくつかチェックしてみたが、いまひとつピンとこないものばかりだ。

先日、お伝えした「人間力」の醸成には、これらのスキルやセンスはもちろんのこと、人望とか熱意とか、人としての優しさ、更には、何らかの覚悟や凄みのようなものから構成されているのだと思う。

つまり、スキルがある人間はたくさんいるが、センスも優れている人間は限られてくる。その上で、人望や他の要素も兼ね備えた結果が「人間力」が高いとして、真のリーダーに選ばれることになる。比較的、土台の方にあるのが「センス」なのだ。

さて、どう磨く?と考えているが解が思い浮かばない。冷静に、下記の抜粋を読み返すと、なんと!センスは「身に着ける方法論もない」とある。正しいのかもしれない。

センスについては、生まれ育った環境や、教育、部活、家族などの影響による人格形成に鍵があるのではないかと思い始めている。紙面の都合(文字数に制限はないが・・)で、さらなる、深掘りは、次回以降の宿題としたい。

以下は楠木さんの記事の抜粋の引用

芸と仕事-その1 スキルとセンス。

僕は人間の能力を、いつもスキルとセンスに分けて考えています。

僕が世の中に出て仕事するようになってすぐにわかったこと、それはある分野のスキルを持っている人というのは、掃いて捨てるほどいる、ということ。

スキルというのは、「できる・できない」の話です。できないよりかできるほうがいいに決まってると。

実際仕事でいろいろな人を見ていると、“余人をもって代え難い”とか、“この人だったら何とかしてくれる”“頼りになる”といった、文字通り「仕事ができる人」に出会うことがあります。そういう人は、何が普通の人と違うのかなと考えると、スキルでは説明できない、その人固有のものを持っています。それはセンスとしか言いようがない。結局、ここが決め手なのかなと思うわけです。

スキルというのは、その性質からして没個人的なものなんです。

その人に固有の能力というのは、スキルではなくセンスに強く出る。

ところが、実際のビジネスの社会だと、つねにスキルが優先してセンスが劣後する。それは、スキルのほうが人間の興味・関心・注意をそそるからです。

一方でセンスには、標準的、典型的な獲得方法がありません。しかも、センス1級とか、センス900点といったように見せることも測定することもできない。

スキルがそそるのに対して、センスは人を不安にさせるものなんですね。身に着ける方法論もないので、「じゃあどうすりゃいいのよ」というような諦めが肝心みたいな話になる。

実際にプレゼンテーションのスキルが非常に高い人ってやっぱりいるわけなんです。重複なく、漏れなくコンテンツを構成していてお話も明快。でもちっとも面白くない。

田中角栄の政治センスが何なのかというと、いま自分の前にいるその人が何を本当のところ欲しがっているのか、これを見抜く力です。

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