さようならヨガ・スクール「ヨガへの挑戦、総集編」

こんにちは!

海外赴任する関係で、今日がヨガ・スクールの最後のクラスだった。始めたのは2018年の秋、3年弱、毎週末、通い続けたことになる。初心者から初めて、今でも堂々、初心者。正直、身体はそれほど柔らかくなっていなければ、宙に身体が浮かんだりはしない。

それでも、睡眠の質は改善した。実際、3年前までは睡眠導入剤なしでは眠れなかった。海外出張が多すぎて、体内時計が狂い、それを眠薬で調整しようとして、薬なしの生活に戻れなくなっていたのだ。もうひとつ、深く呼吸することで気持ちを鎮めることが出来るようになった。ものすごく、落ち着かないような時、ゆっくり深く呼吸してみる。イライラしていたのが嘘なくらい気持ちが落ち着く。

ヨガに通い始めた時期は、ちょうど、ミラー・フィッシャー症候群で闘病中のことだ。入院中に知り合いより、もう少し気持ちを落ち着かせる術を身につけたほうが良い。瞑想とかヨガとかどうだと聞いて、半信半疑で始めてみた。休職中、誰とも会わないでいるとおかしくなりそうだったのも理由だ。通学することで生活にメリハリが出来るとも考えた。それでも、当時は、会社を休んでいるくらいなので、目の複視の症状がひどく、右の眼球の動きも悪かった。

病気している人は受講を認めないとスクールの規則にあったので、休職していることはひた隠しにしたが、あの目の状態を見れば普通ではないと思われていたかもしれない。と言うことで、このスクールでの最初の半年は存在(感)を消していたような状況だった。誰にも話しかけず、「自分」を殺し、「自分」を出さず。

その後、クラスも定まらず、いろいろな先生のクラスに出ていた(先生の産休も2回あった)。少しずつ、落ち着き始めたのが、今の先生になってからだ。太陽礼拝という一連の動きを続ける陽ヨガがきつくて、きつくて、それが楽しかった。優しくて丁寧な先生の指導と教室の雰囲気が良かったのも続けられた理由だ。いつの間にか、先生からは、私が、時々、泥酔して失敗したり、野毛はしご酒ツアーのガイドをしていたり、教室の中でも、消していたはずの「存在感」や、いわゆる「自分」を出せるようになっていた。

ずっと、このクラスに通っていたいと思っていた。それでも、何でも終りがある。どんなに中の良い学校のクラスだって毎年のようにクラス替えがある。会社だって人事異動でじわじわと職場の人は入れ替わる。家族だってずっと同じメンバーとは過ごすことは出来ない。もっと言えば、我々の体内の細胞だって3ヶ月で入れ替わると聞く。だから、仕事の都合でクラスをやめることになったのはしょうがない。それでも、まだ、とても残念に思っている。

冒頭に書いたような睡眠の改善よりも、毎週、必死になって先生の指導に着いていき、終わった時に、今日も乗り切った!と思える瞬間が楽しかった。

総集編と言うことで振り返ると、この3年間、想像以上にヨガネタの記事を書いている。あまりアクセス件数は多くないのが痛いところだ。そして、今、読み返してみると、3年間近く続けて通っていたと錯覚していたが、2020年の4,5月頃はコロナで休校もあった。今年になってからは、5月の1ヶ月間、足の小指の複雑骨折で行けなかった。

さあ、これからどうする?ここで辞めてしまうと、あっと言う間に忘れてしまうだろう。北米でもヨガは人気と聞くし、現地の教室に興味はある。ただ。先程、投稿した記事のように「二重生活」に近いかたちになる。コンスタントに通えないと続かない気がする。とりあえず、Youtubeとかで人気のヨガYoutuberとかを探してみるか。

過去のヨガ記事

 

この写真のようなバランスのポーズは、よろよろしてまだできない。

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