友達が欲しいけど、難しい理由

こんにちは!

先日、初期の頃のオンライン読書会で勧められた「対岸の彼女」(角田光代)を読んだ。女性のドロドロした部分が・・と聞いていたような。

読んで見て、真の友人とは?と、年を重ねることで、変われるか(成長できるか)がテーマと思った。時代設定が同年代でもあり、結構、面白かった。

私自身、友達という意味では、学生時代のバンド仲間とは、いまだに連絡を取り合っている。ただ、住んでいる地域も離れ、仕事、家庭もあり、なかなか、気楽に会うことは難しい。

社会人の途中で、ギターのサークルを一から始めた。年齢も職業もバラバラながら、趣味が同じギターということで、仲良しグループのようなものを作ることが出来た。あいにく、私の海外駐在やその後、超仕事人間になってしまい、疎遠になり、今に至る。

それからは、歳を重ねるごとに、友人作りの難しさを実感し続けてきた。最近、尊敬する一橋大学ビジネススクールの競争戦略論の楠木建先生のコラムを読んだ。社会人になってからの友人作りの難しさを、少々、難解だが、とてもストンと腹落ちする解説をされている。

結局は、友達作りには、縁や偶然が大切らしい。もちろん、そこに利害関係などあってはうまくいかない。

会社関係なら、特に日本人は論外だ。

タビカ(TABICA)を始めたきっかけのひとつが友人作りである。提供する体験のお値段も趣味系のものを100円にしているのは、極力、利害関係を排除し、参加者に金銭的な負担を与えないためだ。

それでも、先生が言う偶然や縁と言うよりは、相当、わざとらしさが残る。なんと言っても、友達が欲しいと飢えた主催者(ホスト)が待っているのだから。。

タビカのプロフィール

以下は、その楠木建先生のコラム(「EFOビジネスレビュー」9/14)からの引用

小学生時代は、あんなに友達がたくさんいたのに、年齢を重ねるにつれて新しく友達になるような人はだんだんと減っていく。ひとつには外的な環境要因があります。仕事を始めると忙しくなる。それから家族ができて子どもが生まれて、ますます忙しくなる。うちもそうなのですが、子どもが出ていって一段落、と思った頃には、今度は親の介護とかが始まる。学生の時より時間が取りにくくなるというのは当然あるわけです。

僕の場合、それよりもっと大きいのは、内的な要因です。年を取れば取るほど自分の趣味、嗜好、興味、関心というものが確立してきます。自分で自分の好みが分かってくる。つまり対人関係のストライクゾーンがどんどん狭くなっていくわけです。「ああ、気が合うな」、子どもだとそれだけですぐに友達関係になることができたのに、大人になると本当に気が合うなと思える人はどうしても少なくなっていきます。

高橋睦郎さんという高名な詩人が、1993年に『友達の作り方』という本を出されています。

僕はこの本を読んだ時に、「これが友達の本質だ」と思ったフレーズがありました。「友達というのは偶然性、反利害性、超経済性という条件を備えた人間関係である」。まったくその通りだと深く共感しました。『友達の作り方』というタイトルなのに、「――という友達の本質からして、友達の作り方なんてものはない」。非常にスカッとした本でした。

例えば小学校のクラスとか大学のゼミというのは、みんな偶然に集まっていてそこに利害はない。友達の本質的な条件を満たす人と会いやすい環境です。考えてみると、そういう場というのは「学校」ぐらいしかないんですね。世の中に出ると、仕事が忙しかったりしてそういう偶然の出会いは格段に減りますし、知り合う人は大体仕事を通じて会うわけですから、利害性や経済性が多少なりともからんでくる。

<省略>

偶然性、反利害性、超経済性を一言でいうと、要するに「」です。偶然とか無意識というものが重なって、ひょんなことから生まれるのが「縁」で、日常生活でこれほどコクがあるものはありません。「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったものです。その反対に、明確な目的を持って意図的に人脈作りをする人がいますが、僕はそういう人とは友達になりたくありません。

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