生きがい、やりがい、働きがいは貝の一種か?

こんにちは!

みなさん「生きがい」を持っていますか?

そもそも私にとって「生きがい」とは?!の状態だ。今や「生きがい」なんて何もないかもしれない。失って困るものがないと言うより、今後、何か得られる期待がないからだ。ただただ、定められた時が過ぎるのを待っているようなものだ。

「やりがい」?

「やりがい」のある仕事とか、ライフ・ワークなんてしていない。そもそも「やりがい」のある仕事とはなんだろう?

今なら、パンデミック終息のための治療薬やワクチン開発か?もっと話を大きくすると、地球温暖化防止の秘策を開発するとか?話が大きすぎて現実感が湧かなければ、コテコテの文化系の私にとって、あまり関係のない世界だ。

ビジネス・パーソン的に「働きがい」はどうだろう?

地方に大きな橋をかけたり、開発して地域住民の生活に貢献したりなんて、その業界で働く、ごく一部の限られた世界の人だけだろう。

仕事で、直接的に人を助けることも、笑顔にすることもしていない。なぜなら、私がしていることは典型的な「事務系のサラリーマン」なのだ。会社のプロセスを下支えするだけの事務系のサラリーマンに夢や希望なんてあるのだろうか?ましてや「働きがい」なんて!

私が「事務系のサラリーマン」になった理由は、中学生時代の親友の影響だ。食いしん坊だったので、将来なりたい職業はコックさんと無邪気に書いても許された。もちろん誰にも相談せずに。

中学生の時、本当にコックさんで良いのか、急に気になるようになった。子供ながら、自分に料理のセンスがあるとも思えなかった。周りにいる大人達は、自営業とか自由業(言葉は綺麗だが、親の脛齧り(すねかじり)とも言う)とか、サラリーマンとは真逆の人種ばかりだった。

まったく自信はなかったが、きっと他に違う世界が遠いどこかにあるはずだと思っていた。だからか勉強は頑張った。実際、同学年350人くらいいるマンモス中学の最初の中間テストで、ベスト10内に入る成績を取った。高校受験は楽勝と勘違いした。その後、まったく勉強に身が入らなくなり中学3年になる。

教室で右斜め前に座る親友の将来の希望「事務系サラリーマン」と言う言葉の響きがなんとも神秘的で、はたまた、堅実的であるような感じがした。迷わず、私の将来の職業が決まった瞬間だった。そもそも「事務系のサラリーマン」が何なのか分からないまま、丸写しした。

あの頃、サラリーマンに事務系とか種類があるなんて知らなかったが、ウルトラマンにセブンやエースがあるように、妙にクールと思った。

その後、17歳の時にお弁当工場でアルバイトで働いていた時、衝撃的な経験をする。

ベルトコンベアに流れる無数のオニギリにラベルを貼るのが私の仕事だった。ひどい時は、一日中、シャケおにぎりに使う、蒸したシャケの黒ずんでる部位を、手で取り除く仕事もやった。その日の晩、夢でもずっとシャケ肉をほぐしていたくらいキツい仕事だった。

やりがいとは無縁の世界だった。弁当工場の社員さんやパートさんにも、あまり笑顔は見られなかった。憧れるのは難しかった。

夏休みの短期バイトのつもりだったが、その短期間に、不渡(倒産)も経験することになった。高校生で失業を経験するのは、その後の会社選択に大きな影響を与えた。潰れそうにない会社を選ぶことになる。今も、当分、潰れそうにない会社で働いている。

「おにぎり工場は潰れた。お前達の仕事はない」と聞いた時、もう少し意味がある、そして、働きがいのある仕事をしたいと心の底から思ったのだ。

これが高校生の時にアルバイトをして得た、数少ないけれど、大きな経験だった。そのアルバイトの後、必死に勉強を再開したのは言うまでもない。

そして月日は流れ、30数年後「事務系だけど、大きな会社のグローバル経営に携わるビジネス・パーソン」になっている。大学生の時に流行った村上春樹の『ノルウエイの森』の主人公がグローバルな仕事をしていたのに憧れて、まったくドメドメ(国内)人間だったにも関わらす、就活で将来なりたい姿を宣言し、入社後、血の滲むような努力をしたからだ。

今、「働きがい」はあるのか?

分からない。それでも、巨大な組織の中で、数少ない必要な人間であることは分かっている。幹部や部下や同僚からも頼りにされている。日本人だけでなく外国人からも。だから、まだ、頑張れる。必要な存在であると言う自負や自覚や責任感があるから、これだけのタフな仕事に耐えられている。きっと、今、この瞬間は、それで良いのかもしれない。

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