こんにちは!
3ヶ月ぶりに日本からアメリカに戻る。あまりに長く日本にいたので、自分自身でさえ、このまま日本にいられると錯覚したくらいだ。もちろん完全に錯覚だった。再び、ここに戻ってくるのは、かなり気が乗らなかった。スーツケースの荷造りするのも当日の朝までできない。
出発前の一週間くらいから、心なしか飲酒量も増えていた。飲んだところで何も変わらないのに、飲み過ぎて具合でも悪くなることを期待していたのかもしれない。もちろん何も起こらない。
さらに無駄な抵抗は続く。アメリカのスマホをどこかに置き忘れてきた。出発の前日だ。もちろん無駄な抵抗なので、会社に忘れてきたことに気がつく。週末に取りに行く手間が増えただけだった。何も変わらない。
時間は容赦無く止まらない。気がつくと空港にいる。戦渦なので、いつもより飛行機の搭乗も厳重だが、寝不足と疲れで、寝ている間にサンフランシスコ空港に着いてしまう。
日曜の夜に日本を出て、時差の関係で日曜の夕方に着くが、日本は月曜が始まる。3ヶ月ぶりの現地のアパートで荷物を解いてる間もなく、あれよあれよと日本との会議が始まる。
今回は、スーパーに食料品を買い出しに行く時間もなかった。空っぽにしてあった冷蔵庫には数本のビールと封を切っていない青カビのチーズと調味料しかない。もちろん、大量の麺類やインスタントの味噌汁や餅は常備してあるので、会議の合間に適当に夕飯を済ませる。
前回、1ヶ月ぶりにアメリカに戻ってきた時は、コロナによる日本の鬱屈した雰囲気にうんざりもしていた。現地の青い空を見て、あっさり気が晴れた感触があった。
今回は違う。まだ、カリフォルニアの青い空と太陽をじっくり見れてないからか、気が重い。一晩寝れば大丈夫だろうと思うが、翌朝、まどろみながらも、そして、目覚めてからも、異様に日本に帰りたいと思う。
何も悪いことはしてない(おそらく、たぶん、きっと)のに、住む場所も選べない不自由な生活を人生と呼べるのかなんて考えてしまう。
それでも、睡眠十分だからか、1日を始めることはできる。3ヶ月も空けた割には部屋は埃っぽくなければ、変な虫も沸いていない。電気もインタネットもケーブルテレビも普通に使える。まるで昨日まで誰か住んでいたかのように普通に使える。
唯一、変わったのはキッチンの水道くらいだ。水の出方をボタンひとつでシャワーと一本に切り替えられるが、そのボタンから水が吹き出る。こんなことはなかったはずだが、今のところ直りそうにない。
外しておいた車のバッテリーも繋げば、すぐにエンジンがかかる。スーパーに買い出しに行く。昨日、空港で、現地の住所を聞かれ、まったく記憶喪失になっていたが、こちらのデビットカードのパスワードも忘れていた。クレジットカードは何故か使えなくなっていた。
家に戻り、クレジットカード会社に電話する。支払い漏れで止められていた。しかも2ヶ月間も未払いにより、ペナルティのような金利も請求されていた。支払いを済ませると共に、自動引き落としの設定もする。
たしか、4ヶ月前も同じ理由でカードが止められた。自動引き落としを手動でしないといけないからだが、うっかり忘れていたのだ。しかも、ネットでの設定方法が分かりにくく、忙しくて余裕がなかったからか、登録できないでいた。
届いていた保険会社からの車の修理代の小切手をアプリで入金する。日本に今回の渡航関係の領収書の写真を送る。一通り、雑用も終わり、半日でアメリカ生活に戻った。
今日は現地の会社の休日なので、時差ボケ対策とランチも兼ねて、近所のゴルフ場(ショートコース)の打ちっ放しで身体を動かす。ゴルフクラブを握るのも3ヶ月ぶりだが、身体は覚えている。あいにく、柔らかくなった手の指の皮がスイングで剥けてしまう。
日本に帰る前から、車の左ウインカーだけ暴走族のように早く点滅していたが、ゴルフ場の駐車場で確認すると車の後部は点滅すらしない危険な状態と気付いた。修理ミスなので、リース会社に修理をお願いする。
3ヶ月前、忙しくて、車の外までは点検できなかった。久々の休みで、気持ちに余裕があるから、面倒な雑用が次々と片付いていく。
久しぶりのカリフォルニアの青い空と強い日差しの中、外でハンバーガーとビールでくつろぐ、風はまだひんやりするくらい涼しい。何となく鬱々した気分は無くなっている。
12年前、最初のアメリカ駐在時、海外生活の準備中に、私は緊張しまくっていた。送り出す日本の上司から、カリフォルニアなら大丈夫だ、気候も良ければ、おおらかな雰囲気だから、おかしくなる奴なんていないと慰めてくれた。その言葉を、今頃、思い出した。
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