正しく「祈り」が出来ているか?再読『脳科学からみた「祈り」』by 中野信子

こんにちは!

2年数カ月前(2018年12月)の記事「『脳科学からみた「祈り」』で人生変わるかもしれない:前半」で書いたことが、今、出来ているのか、急に気になり始めた。なにせ、今は、突然のイナゴの大群の襲来のように、仕事でシッチャカメッチャカな状況に陥っているからだ。

その当時『脳科学からみた「祈り」』を読んで学んだことは、主に以下の通りだ。

効果のある祈り方(例):1日2回、最低3ヶ月

  1. 朝起きてすぐ:「なりたい自分」「成し遂げたい目標」について集中して祈る
  2. 夜寝る前:「そのために今日、何が出来たのかを反省」「成し遂げたい目標のために、明日できること」を中心に祈る

できる限り多くの人を思いやり、できる限り未来・将来のことを見据える(配慮範囲を広く)

自身の夢や目標を定め、それに向かって日々努力していく

途中で困難があっても、必ず乗り越える気持ちで取り組む

祈りは、夢・目標の実現を願うとともに、具体的な活動を確認していく、日々のプロセスのひとつにして、脳を刺激し続ける

配慮範囲が広いと運も自然と近寄ってくる

「配慮範囲を広く」とある。「できる限り多くの人を思いやり、できる限り未来・将来のことを見据える」と。あいにく、今の私は、多くの人を思いやる余裕はない状況だ。先週末、実家にお彼岸で帰省することすら忘れていた。肉親のことさえ思いやれない人間が、同僚や部下や友人のことまで思いやれるのか。

できる限り未来・将来のことを見据える?目の前に並んでいる気が遠くなるような仕事のオンパレードに、未来や将来を考える余裕もない。

ここのところ、社運を掛けたプロジェクトにどっぷりハマっている。少し前のドラマ「半沢直樹」の世界を20倍くらいグチャグチャにした状況だ。小説でもドラマでもなく、リアルな世界でのことなのだ。

ただ、夢中になって働いているようで、心の何処かで冷めている自分がいる。朝5時に起きて夜10時まで働き、自由時間は寝るまでの1時間だけなんて状況だ。ブログを書くことは困難を極める状況が続く。それでも、どっぷり仕事にのめり込まない。これで良いのかと、どこかで、完全仕事人間マシンにならず、ギリギリなところで踏みとどまっている自分がいる。

昨日、今日、急に気になり、スキマ時間でこの本を再読する。短く、字も絵本のように大きいのですぐ読める。冒頭に引用したようなことは殆どできていない。今さら「なりたい自分」「成し遂げたい目標」なんてアラフィフのおじさんには拷問のような質問のような気がする。

配慮範囲も狭ければ、祈ることもしない。非常にまずいことになっている。ただ、今回、この本を再読し、前回、ブログ記事に書き漏らした内容があった。

「逆境に直面して「よし必ず乗り越えてみせる」と心のファイティングポーズを取れたなら、その瞬間に脳も戦う体制を取ります」「「ああ、もうダメだ」とあきらめてしまったなら、その瞬間に脳も”逃げの方向”に変わってしまいます」

正しい。「心のファイティングポーズ」を取ろう!仕事の良いところは、ある程度、期限が決まっていることだ。あと、一週間の辛抱!その先は、多少、平穏な生活に戻れる。大切なのは「必ず乗り越えてみせる」という気持ちだけだ。

逆境と言ったって、所詮、仕事の世界に過ぎない。自然災害でもなければ、紛争でもなければ、戦争でもない。まったく、たいしたことはないのだ。

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