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こんにちは!
皆さんは、どこでも、誰の前でも、素の自分を出してますか?
先日、「オンライン読書会+映画もね!」で、ある自己啓発本から「相手によって自分を変えてしまう」「素の自分を出せない」ことが気になると言う話になった。
私からは「実家に帰ると、いい歳して、いまだに良い子でいようとする自分がいる」「もしかすると親の前が一番、自分を作っているかもしれない」と言ってみた。想定外に、他の参加者も共感、同感の反応だった。
私の場合、親が躾や教育に厳しい訳ではなかった。ただ、極端な心配症だった。出掛けたら、必ずひどい目に会うと信じて疑ってない部分があった。そのため、出掛けても心配させないため、早く帰ることばかり気にしていたような気がする。
結果、今でも国内旅行はほとんどしないなど、比較的、出不精なのは、そう言った背景もあるのかもしれない。家にお年寄りもいたので、家族旅行の記憶もない。
本題からズレた。「素の自分を出せているか?」たぶん、誰に対しても、素の自分は、なかなか、出せないのではないか?
理由は、私は、まあまあ自分大好き人間の部類のはずだが、それでも、「素の自分のおぞましさ」も知っている。だから、心の内の全てなど曝け出すようなことはしない。
夫婦間のような関係で、自分の家族に対する態度と同じように、相方にも出来るタイプかと聞かれるとそうでもない。やはり「親しい人にも礼儀あり」を貫く性格でもある。
このブログのような匿名の世界はどうか?比較的、素の自分の良い部分を中心に出していると思う。これで良い部分なの?と言われると元も子もないが、残念ながら、これが実情なのだ。
会社ではどうか?同僚や部下が持っている私のイメージは、それほど私がみんなに思って欲しいイメージと隔たりはない。そういう意味では職場の同僚等には、それなりに自分を出せているのかもしれない。学生時代の友人も同様だ。
もちろん、それでも、ある心の闇のような部分は隠している。それは素の自分を出すのとは違うことかもしれないが、おそらく、誰もが、何らかの心の闇とか傷とか、無条件に共有できない部分を持っているはずと思う。
会社で重要なのが、上司や幹部との関係だが、実家と同じように猫を被っている。同時に、上司などが思い描いている私のイメージがあり、それに合わせている傾向がある。ここでのイメージは「真面目」の一言。良く言えば「信頼できる」だが、悪く言えば「少し遊びが足りない」ように見えているはず。
真面目風な見た目で得をしているのか、損をしているのか分からないが、仕事に関しては、トータルで考えると得をしているのかもしれない。
とりとめのないエッセーだが、今日時点の私の結論は「必要に応じて素の自分を出せればよい」。「人や人間関係によって、素の自分を出せなくても決して悩むようなことではない」
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